2021-10-24 仏演劇界でのmetooに関する記事
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被害を受けた方と鈴木氏との間でどういう話し合いが行われ、今現在どういう段階であるのかはわからないが、少なくとも私が追いかけている方のTweetによるとまだ納得できるような形での話し合いに至っていないように見受けられる。
鈴木氏が関わってたNPOや会社の運営者からの発信をわたしもできるだけ追いかけるようにしているが、それを読むたびに胸が塞ぐ。
アパートメントと争った時の、どういうわけか一番大事なことが伝わらないやるせなさや暗澹とした気持ちを思い出す。何が一番問題であったのかということを理解していないから自分たちの都合を長々と説明してきたり、「傷ついたならすみません」というこちらがわの受け取りの問題にすり替える。
こちらは自分の感情が傷つけられたことだけに怒っているわけではない。あなたたちが掲げている理念を裏切る行為であったから指摘している。その理念のもとに集まってきている多くの人を、これ以上切り裂かないでほしいと言っている。
ひとりひとりの声を聞くことを大事にする場所であるはずなのに、そのことを真っ先に放棄した、その態度に疑念を抱かなかった感覚を問い直してほしいと言っている。創る人を応援し、大事な作品を預かるとうたっている場にも関わらず、(主催者のものとはいえ)作品を剽窃したことの重大性に気づかず、主催者には著作権がなかったとまで言い切ってしまう。そういう態度を、今まで作品を預けてくれた創りて手が見たときにどんなにがっかりするか。創り手にとって、世界には失望したり孤独を感じたりすることばかりでも、この場でだけはそういう思いをさせたくなかった、というのはただの私の身勝手な思いなのかもしれないけれど。
こういう争いが難しいと思うのは、ましてこうして時間が経ってしまったことで難しさが増すのは、事細かに経緯や、積み重なった違和感を説明するのが重労働だということ。お互いの間にも理解の齟齬が出てくるし、こうしてSNSでひろまると、親身になって追いかけているひとから、ただ聞きかじっただけのひとまで多くの人が言及してきたり、それにまた説明をしたり…気が遠くなるような作業だ。
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